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横南高校物語1 [横南高校物語 【学園物語】]

 横浜南山高校(よこはまみなみやまこうこう・通称:よこなん高)は小高い丘の上に設立された男女共学の高校である。学校の運営は、神奈川県がおこなってる。つまり、県立高校である。1学年12クラス、3学年で36クラス。1クラス平均30名の生徒を抱えるマンモス高校の一つである。

 亜紀子は、男子バスケットボール部のマネージャーをしていた。彼女の夢は、音楽の先生になることだった。故に、音楽大学への進学は、亜紀子にとって重要なことだった。中学時代は、ソフトボール部でピッチャーを任されていた。「エースで4番」というわけにはいかなかったが、チームの中心選手であった。誰もが、高校でソフトボール部に入部し、インターハイを目指すと思っていた。しかし、亜紀子は、その道を選ばなかった。

 理由の一つは、「指」を守ることだった。ソフトボールへの未練が、無いわけではなかったが、現実主義の亜紀子にとっては、それが一番ベストな選択だった。

 横浜南山高校のバスケットボール部には、男子部と女子部があった。亜紀子が、男子バスケットボール部を選んだのは、彼女にもプライドがあったからだ。
 
 中学生時代に、ソフトボールで慣らし、有名私立高校への進学話が持ち上がるほどの実力であった亜紀子にとって、たとえ違う競技であっても、マネージャーとして女子プレーヤーの面倒をみるのは、耐えられないものだった。

 本当は、音楽のレッスンに専念しようと考えていた亜紀子を、男子バスケットボール部のマネージャーに誘ったのは、中学生の頃から同級生であった瑶子だった。瑶子は、中学生時代からバスケットボール部で頑張っていた。身長150センチメートル台の瑶子が、レギュラーを獲得することはなかったが、彼女にとっては充実の部活生活だった。

 瑶子は、亜紀子のファンであった。バスケットボール部の練習の抜けては、亜紀子が登板する試合の応援を欠かさなかった。亜紀子が全国大会への出場を決めた予選でも、彼女は応援団長をやっていた。

 瑶子は、亜紀子がソフトボールを諦め、音楽に専念することを残念に思ったが、高校生活の3年間、少しでも多くの時間を亜紀子と一緒にいたいと考え、バスケットボール部のマネージャーに誘ったのだった。
 
 この二人の親友の一人に薫子がいた。薫子は新体操の選手であった。技術的に、秀でたものはなかったが、
明るい性格が功を奏し、中学校では常に人気者であった。薫子の母の希望もあって、高校への進学は亜紀子や瑶子と違う、私立の女子校に進んだ。
 
 瑶子は、薫子に亜紀子の件を相談することに決めた。



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cocoa051

「亜紀子」という名の幼友達がいました。
いまはどこで暮らしているか分かりませんが、若いころに抱いた淡い恋心を思い出しました。
by cocoa051 (2013-10-20 04:03) 

chokou

cocoa051さん
訪問・nice・コメントありがとうございます。
いい思い出だといいですね。
今後ともよろしくお願いします。
by chokou (2013-10-20 13:05) 

さゆり

はじめまして♪

「学園物語」 楽しそうですね。高校生気分になりそうです☆
私は何十年前になるのかな?
続きを楽しみにしています♪
by さゆり (2013-10-20 18:25) 

chokou

さゆりさん
訪問・nice・コメントありがとうございます。
今後とも、ご支援よろしくお願いします。
by chokou (2013-10-20 20:44) 

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